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阪神・淡路大震災スクリーンセーバ

長田からの声

WWWレビュー

私のWindows用スクリーンセーバの内容を
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  <著作権について>

Screen saver picture01

 

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【倒壊した阪神高速】

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 私は倒壊した高速道路の映像を見て「これで日本の開発指向もかわるかも知れない」と思った。原発に代表される巨大開発によりかかる、日本の経済のありかたが、私は大きな問題であると考えていたからだ。
 しかし、本質的な議論はなされることがないままだ。「この震災を教訓に」、とマスコミはいうけれど、本当に学ぶべき大事なことを学ぶことなく、過ぎていこうとしている。

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【5階が押しつぶされた神戸市立西市民病院】

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 押しつぶされている左側が旧館、右は増築された新館。機能的で最新設備の中央市民病院とは対象的に、西市民病院は、古い建物に改修と増築を重ねた病院だった。
 大きな被害の出たことは、私達からすると、やはり..... という思いがあった。これ以外にも公共の病院での被害があり、神戸がいかに無防備都市であったかが明らかになった。

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【私の生まれ育った菅原界隈】

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 道路の破損、渋滞。消防車はいっこうに来なかった。たどりついても、水道がまったく使えず、川の水もわずかで、海水をひいて消火を初めても、水のでるホースは何本も確保できなかった。
 菅原界隈は木造の市場やアパートが多く、以前から火には注意していた。市場内では防火用の水を用意するなど工夫していたが、地震により市場は倒壊し、火の手を防ぐすべはなかった。
 火の回るのがはやかった菅原地区は、一滴の水もかけられることなく、人々とともに、燃えつきた。

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【大正筋商店街】

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 長田の人間にとって、大正筋とろっけん(六間道商店街)は、一種のアイデンティティだった。韓国料理の店や小規模だが専門化した食材店など、雑多な市場が広がる大正筋・ろっけん界隈はアジアのカオス(混沌)として長田を象徴する存在だった。
 その大正筋は焼失した。しかし、現在では一部の店は仮店舗で営業を再開した。長田の活力は、カオスゆえにその力を失うことはない、と信じたい。
 しかし、多くの人々が県外や仮設におり、人口の減った長田では、小売業は苦しい状況が続いている。再開が大きく報道された菅原市場でも、震災前の客足はのぞむべくもない。

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10月になっても、このように倒壊したままの建物がある。右隅でバス停が押しつぶされたままになっている。ここではこのためにバス停が、離れたところに新設された。経済・利権、さまざまな思惑がからみ、「復興」まで達しない建物も多い。

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Screen saver picture07

 いくら時間が経とうが、「復興」できるものより、復興できないもののほうがはるかに多い。
 はなやかだった市場の店々、思い出の町並み、生活の場、人々のつながり、そしてなによりも多くの命はいつまでも帰ってこない。

 ほんとうに大事なものは復興できない。

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 仮設に避難している人、賃貸住宅に住んでいた人にとって、住居こそ、現実の問題である。まだ住めている住宅でも、全壊指定だと建て直されることが多い。
 遠方の仮設にいくか、自分で行き先を探すか、いずれにしても立ち退かざるを得ない。

 「復興」は資本を持っている者のセリフである。

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 今、建設されているのは公共施設か、店舗か、自宅ばかりだ。たくさん倒壊した、安価なアパートや文化住宅が、再建されることは、まず、ない。市も住宅を建てるとはいっているが、路地に座り込んで話し込んでいた老人達の町はもう、帰ってこない。
 そして、人々の行き場も決まらないままだ。

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 長田の老人達は元気な人が多かった。低廉な住宅、集える公園や路地、ゆっくり買い物できる市場や商店街もすぐそばにある。
 若者達や勤め人がハバをきかせる町ではなく、老人達も主人公として、暮らしていけたのだ。

 この町には本当の「福祉」が存在していたのだ。

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著作権について

 ビットマップの元になった写真の著作権は以下のようになっています。
 写真データそのものを再利用する場合は、基本的に、各著作権者に承諾を取る必要があります。ただし、いずれも購入可能なものですから、もとの商品を購入していただくのがいいと思います。

 ・1枚目 倒壊した阪神高速
 ・2枚目 5階が押しつぶされた西市民病院
 ・3枚目 菅原市場界隈
 ・4枚目 大正筋商店街
 ・9枚目 焼野原
 ・スクロールする詩の末尾の燃えた信号機
 および設定画面の燃えた信号機

 CD-ROM記録写真集 for Windows 1995.1.17 -阪神大震災-
 株式会社 計画堂
 \3800 (ISBN4-906564-02-X C0872 P3800E)

このCD-ROMは、大震災後の神戸の街の写真を145枚収録したものです。著作権はフリーとされています。今回使用した256色のビットマップデータも質の良いデータですが、更に高品位な3072x2048のJPEGデータも収められています。
(高品位すぎておいそれとは見れないくらい(^o^))
 内容の視点もよく、ディレクターで作ったビューア付きです。
 本スクリーンセーバでは、容量の関係から256色のビットマップデータを更に縮小やトリミングしています。もとデータははるかに高品位であることをお断りしておきます。
 計画堂さんには、このスクリーンセーバでの使用と配布について、
快諾いただきました。この場を借りてお礼申しあげます。
ありがとうございます。

・スクロールする詩の中間の森の写真
 「コダックフォトCDサンプラーウイズフィルム」より転載。
 No.10 'Landscape'「風景」の10番データを使用しました。

・5枚目 五番町のバス停付近
・6枚目 四番町の住宅の看板1
・7枚目 四番町の住宅の看板2
・8枚目 東尻池町の幟
私が直接撮影したものです。

【転載など】
 転載やリンクは大歓迎です。多くの人に見てもらってください。
 また、上記で述べた写真以外については、私の著作物ということになりますが、これら(私の写真と文章などですね)はこのデータの主旨にそう再利用であれば、自由に行っていただいてかまいません。
 本データそのものを再配布する場合は、この文章も必ず付けるようにしてください。

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