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生きてます 全集16〜23

パソコン通信PC-VANの第三世界ネットワーキングに
アップした報告の記録です。

目次


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★タイトル (KCD72893) 95/ 2/11 23:45 ( 28)
生きてます。16<とーち>

★内容
東西の差
 私のメッセージを読んでいただいた方からメールをいただいたのですが、それによると東京の方では、すでにこの大震災についての報道量が減ってきているとのこと。
 原発の事故などの報道についても、東西でずいぶん扱い方が異なることにびっくりさせられることがありますが、今回もそうなりつつあるのでしょうか。少なくとも神戸で見ている限り、報道の量はそこそこ保たれているように思えるのですが。(いまだにCMはACなどが多いし)
 今回、被災地で生じる事柄はまだまだ始まったばかりです。そして、その問題もここに固有のことではなく、この国の人々とともに考えていってもらいたいと私は思っています。そのために、東京でもきちんとした量と質の報道をお願いしたいものです。
 家賃の問題や、マンションのローンの問題など、考えてみれば、この国の異常な土地の値段と不可分な問題ではないでしょうか。一生を捧げなければ住宅を手に入れられないこの国の豊かさそのものが、今回崩壊したのではないでしょうか。もとに戻るだけではなく、この国のかかえる問題を、これを機会に問い直していって欲しいのです。

どこへ戻るか
 今回、復興するということは、単に地震前に戻るだけでは済ましたくありません。今回随所で見られたように、すばらしい心をもった人々が互いに共生していける社会とそれを生かせる環境を築きたいと思います。
 そのためには、高速道路などにしても、これまで以上の耐震性と回りへの影響まで考えた、再建をしてほしいと思います。この機会に災害、公害にも対応して欲しいと思います。
 私達は、どこへ戻るのか、これからの課題です。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 2/26 19:47 ( 71)
生きてます。17<とーち>

★内容
・仕事に復帰
 仕事に復帰してウィークデイは大阪に単身で住んでおり、長田に帰るのは土日だけという状況になっていますので、MSGがとぎれてました。
 通うのがむつかしい状態で(普通の9時から5時の仕事なら、いまなら通えないことはないですね。私の場合、種々の事情で残業をかなりしないと仕事にならない状況になってしまっているので)出勤するのはどうしたものかと思ったのですが、働ける仕事があるだけありがたいのかも知れないとも思いますし、日常をとりもどす方向に進んでしまっています。それがいいのか悪いのか、私には今は判断しきれていません。いちばん穏便な方向であることだけは確かなのですが。

・身体のこと
 最近、身体の調子が悪い。無理な通勤や(自転車で長距離走ったりするので)家庭内の人数が増えていることや、水運びなど、精神的、物理的にダメージを受けているのだろうと思う。前からあった夜中に腹痛がおきるのと、腰がすごく痛くなっている。私は肩もこらないし、腰もめったに痛くなったことなどなかったのだが。
・水はもう少し
 この地域としては水はきました。ただ、前にも書きましたが、私の住んでいるビルの水タンクが壊れてしまっているので、私の家の蛇口からはまだ水がでません。来週月曜にはなおるということですので、もうひとがまんです。

・復興よりまず生存確保を
 直後から気になっていたのだが、被害などを時を止めた状態で把握しようとする態度がマスコミにも行政にもある気がする。今現在で、数字をつかんでみたところでそれは、その時点での一断面にしかすぎない。実際は、ダイナミックに、連動しながら動いているのだから、それを感じられなければ対応などとれはしない。いわば固体力学ではなく、流体力学のようなものだ。
 マスコミの報道が、現地をも変えてしまうということは前にも書いたが、仮設住宅の計画など、展望を示さないままの行政の態度が、どれだけ現地の人々に、精神的にダメージを与えつづけているか分かっているのだろうか。
 復興という言葉が盛んに使われているが、いま神戸で復興などという言葉に相当することが行われているとは思えない。響きがいいのでマスコミが使っているだけだ。今行われていることは、建物の取り壊しであり、がれきの除去であり、日々を生き延びるための環境を作っているにすぎない。
 今、必要なのはまず生存を確保していくことです。たしかに必要最小限の水、食料は供給されるようになってきました。しかし、冷たい食事、暖房のない部屋のせいで病気で亡くなる方が増えているようです。炊き出しが行われても、教室の中で避難している人の枕もとへ運ばれるわけではありませんから、当然、あたたかいものに当たらない人も大勢いるわけです。つれあいは、個人的に炊き出しを行ってそれを補おうとしていますが、それはきめ細かな対応が必要です。
 やはり集団避難の状態を一刻も早く解決する必要があるようです。

・うしろめたさ
 上記のことと矛盾するような話しなのですが、今だから書けるのかもしれませんが、ずっと感じていることとして、外国から援助してもらうことにうしろめたさを感じていました。地震後2〜3日ほどはたしかに被災したほとんどの人々は危機的状態にあったわけですが、それ以後は、ほとんどの人は、なんとか生存そのものは確保されているわけです。
 おそらく、この状態よりひどい状態にある人々が、世界中には確実に、存在しているはずです。それも、20万などというような数字とは桁違いの人々が。そう考えると私達に対して援助してもらうことに、うしろめたさを感じずにはおれません。そして、そういった他の国の人々に、この日本という国は、その人々にどれだけ援助してきたでしょうか。(自国の商品を売りつけるばかりのODAなどではなく)
 この震災による被害は、日本という国が、他のアジアなどの国を上から見下ろすようにして援助してきたことを、見透かすかのようにあることを主張しているように思えます。

・増税ではなく利益配分で
 今回の震災のために、増税をするつもりがあるようですが、私は気に入りません。被災民は、(または被災民のために)これからどんどんお金を使っていかねばなりません。近所のスーパーではめがねも時計もよく売れています。なくなっちゃったものは買わざるを得ないわけです(これまでの暮らしを否定しなければね)。これからもっと大きいものも売れていきます。家、車、ビル建設のための実にさまざまな関連物、そして道路、高架道路。建設機械。
 この国では、モノが動けば、金が動くわけですから、これにより儲ける会社があることになります。それを悪いとはいいませんが、そうした利益を増税の前に使って欲しいと思うのです。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 4/16 18: 7 ( 38)
忘れられるものだったか<とーち>

★内容
 神戸に住むものとしては、ほとんど震災についての報道がなくなってしまったかのような状況に茫然とした気分です。私の家ではやっと4月1日になってガスがきたのですが、大阪のたいがいの人々はとうの昔に復旧したと思っていたようです。
 また震災についての報道も極端に少なくなってきました。大阪でもそうですから、関東ではなおさらでしょう。

 しかし、今も5万人を超える人々が(仮設ではなく)避難所におり、行き場のないまま梅雨をむかえます。寿命を縮める人も多くいらっしゃるでしょう。10名やそこらではなく。
 かつて、私は、釜が先で毎年冬になると人々が凍死することに激しいショックを受けました。わずかの金や労力でその人命は救えるはずだからです。人命は地球より重い、とかいっている国でのこととは思えませんでした。
 私には、今回のことが、それとつながっている事柄に思えます。
 この国では失われる命の重さは同じではないのでしょう。

 そして、震災の対応についての責任を追求する動きは、期待すべくもありません。この無力感は説明のしようがありません。

 今の時点になっていえることとして、以下の2点だけ書きます。
・もっとも被害が少なくてすむ時間にあの地震はおきた。もし時間が悪ければどのくらいの被害になっていたのだろうか。私は死者が2桁違ったと思っている。今ならシミュレーションできるはずだ。今回の被害だけをみて、あの地震そのものの対策を考慮することはできない。
・できうる対策がすべてなされていれば、被害はどのくらい少なくてすんだのか。
また被害を最小限にするために必要なコストはどのくらいなのか。こういったことが今なら算出できるはずだ。ヘリコプターからの消火ができたのかどうか、私はいまだもってはっきりした事実(論議の結果などどうでもよい。事実だ)をしらされないままだ。

 衣食住が足りない状態の人々が、抗議、行動が起こせないのをいいことに経済のためにこの国は進んでいるように思えてならない。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 5/ 4 6: 2 ( 56)
生きてます。20<とーち>

★内容
★ああ、なんだか、やな渡世ですね。
 「生きてます」シリーズはいったん終わらせたつもりだったのですが、私の文章はなぜか清涼剤として機能するらしく再開へのリクエストを何人かの人から聞いたのと、マスコミが見事に報道しなくなったので、続けることにしました。
 このままでは終われない気分ですから。

★気分の整理が
 いまだに気分の整理がつきません。おそらく、これは被災した人々すべてがそうなのだろうと思うのですが。当面の問題が目の前にあるからそれを片付けていっているにすぎません。それを復興と呼ぶのがふさわしいかどうか。
 一つにはやはり、「責任問題」というのを抜きにしては考えられないということがありますね。私はこれまで、「責任」なんていう言葉がきらいだったし、いまでもそうなのですが、今回は、この言葉でなければ表せないものがこの世に存在するんだなぁ、と思っています。
 肉親を多く失った人々がいるわけです。いったんは声を聞いていながら火に前にどうしようもなかった人々がいるわけです。書くのもつらくて書けないけれど、ほんとうに極限の状況で生死を分けてきたわけです。ほんとうにそうした人にとって、最初に責めるのは自分です。そして、次に、ほんとうにどうしようもなかったのかどうか、それをはっきりさせなければ、次のステップには進みにくいのではないでしょうか。自分をごまかさずに生きていこうとすれば、それを解決しなければなりません。それを普通に通じる言葉でいえば「責任」ということになります。

★戦後50年、なにも変らない国
 結局のところ、あの15年戦争の「責任」を実質誰もとることもなく「一億総懺悔」などといってゴマカしたこの国は、50年後、やはり同じように、「責任」の所在を明らかにすることなく、「この震災に学ぶ」などといって、家具を固定することを「学ぶ」ことで、すべてを水に流そうとしているかのようです。本当に「学ぶ」べきなのはそんなことじゃない。
 この態度、この風習(?)、この慣習こそが、根本的な問題点であると私は思います。なにが悪かったか、誰が判断を間違えたのか、いつ、どのような行為が可能だったのか、そういったことを明らかにせずに、いったいなにを「学」んだというのでしょう。

★ヘリコプター消火
 ほんとうに不思議なのですが、今、ふたたび地震がおこり、都市に大規模な火災が発生したら、ヘリコプター消火は行うのでしょうか。
 よく、テストのあと、「答え合わせをしなさい」といわれたものです。あれば実はなかなか合理的な勉強法なのですよね。テストというのは、重要な部分をピックアップされているわけだから同じ間違いをしないだけで、かなりの問題をカバー出来るようになるわけです。
 分からない問題をそのままにして、次のテストにのぞもうとしてるわけですね、今、私達は。人命をかけて。弱者の人命をかけて。

★命の重さ
 人命を守るという大義の元に、あらゆる法を総動員して、職権乱用と別件逮捕を繰り返すことを許容する国が、再来する災害に備える準備もせず、ただ忘れさせようとしているように思えます。
 重要なのは、人命でしょうか。それとも50年前のように、他に大事なものがあるのでしょうか。

 今、4日の早朝6時前ですが、余震がまたありました。震度2くらいだと思います。神戸では、いまだに、余震におびえつづけています。

<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 5/ 8 6:34 ( 29)
生きてます。21<とーち>

★内容
★神戸へようこそ
 最近、ちょっと考えがかわってきたことがあります。以前は、あまり目的もなく、神戸に来るのは、ちょっとやめてほしいと思っていたのですが、今は、もっと見てもらったほうがいいと思っています。
 というのは、大阪の人々の反応を見ると、明らかに、来たことがある人と、ない人とで、感じ方に差があるのです。
 へんな話しですが、震災前、神戸に関する苦情として、「異人館って、ずらっと並んでいると思っていたのに」というのをよく聞きました。パンフレットとかはうまく工夫してあるので、知らないとそう思ってしまうものなのでしょう。
(現実は、ぽつん、ぽつんと離れているの(^^;))
 で、震災の被害は、その逆で、TVでは、個々の建物が写るか、全体を鳥瞰した映像が写るだけですが、実際は、延々、軒並み、という感じで、被害を受けているわけです。5、6階のビルが崩れているのなどは、ザラにありますが、TVだとどうしても有名な建物ばかり写りますし、鳥瞰映像では、個々の状況は把握できません。(上からの写真だと、ビルの破壊状況が見えないし)
 というわけで、来た人は、異口同音に「思っていたよりひどい」ということになります。

 そして、その一つ一つに、暮らしていた人がいたことを考えてもらえば、その被害の深刻さがわかってもらえるのではないかと思うのです。おそらく、数値に表われる被害などより、そうした身体で、肌で、感じられる被害こそ、重要なのではないかと思うわけです。

 地震直後に比べると、取り壊しも進み、はるかに整然としてきていますが、まだまだ復旧などしてるわけではありませんから、ぜひ、一度ご覧になることをお薦めします。

<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 6/ 4 21:33 ( 29)
生きてます。22<とーち>

★内容
★とんでもない人達(^o^)
 4月の中頃、突然、電話がかかってきた。大阪から来た男女二人連れで、家を引き払ってやってきたという。私の文章を読んで、長田に着いたらまず会おうと思っていたというのだ。
 震災の後、とんでもない人はいろいろいたけど、これほど、とんでもない人もめずらしい。(^o^)
 彼らは、それぞれの家を引き払って、家財道具を人にあげてしまい、自転車に全財産を積み込んで、二日がかりで、長田までやってきたのだ。
 公園でしばらく話した後、私の家に来てもらい、その日は泊まってもらうことにした。
 彼らは、ボランティアとして、一時だけ手伝うような形じゃなく、いっしょに生きていくような形を持ちたいという。だからといって、住みつづけるわけじゃなく、1年か2年したら沖縄に行こうと思っているという。話しをしているうちに、彼らがそれなりに現実を体験しており、経験に基づいて行動予定をしっかり持っていることが分かった。(それにしてもうらやましい奴らだ(^^;))
 テントを持っていなかった彼らに、芦浜を知っているテントをプレゼントすることにした。実はこのテント、地震後しばらくしてから、使ってもらおうと思って避難所を見ていたのだが、私達の小さなテントより、もっとりっぱなテントが主流で、どうやら荷物置きくらいにしか使ってもらえそうになかったので、手元においておいたものなのだ。このテントが荷物置きではちょっとつらいから。ひょっとするとこのテントは彼らを待っていたのかも知れない。(^^)
 というわけで、彼らは私達の家からそう遠くない公園にテントを張り、住民が自発的に建てる仮設住宅の建設の手伝いなどをしていたが、1ヶ月ほど前に、淡路にいってくるといって、淡路に発った。いろいろと、しんどいこともあったようだ。

 人々が通り過ぎ、留まり、私達は住みつづけている。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 6/18 20:48 ( 48)
生きてます。23<とーち>

★内容
★アジアフォーラム集会のことなど
 6月10日にノーニュークス・アジア・フォーラムの全国集会、翌11日に戦後50年核も原発もいらない集会、と大阪で続けて企画があった。
 11日には私も歌うことになっている。
 今回、台湾環境保護連盟の方がいらっしゃっていた。私は、最後の質問で以下のような内容を伝えた。
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被災地、長田から来たとーちといいます。
 今回の地震で、多くのアジアの国々から援助物資をいただきました。台湾からも食料をいただき、私も食べさせてもらいました。
 日本が、行った侵略に対して、明確な謝罪も賠償も行わないことを申訳なく思ってきましたが、そんな日本の私達に対して、援助いただいたことを心からお礼申し上げます。
 台湾では、日本の原発は安全だ、という宣伝が行われていると聞きますが、そういう人には、「なぜ、この地震であんなに被害が出たのか」と問いかけてください。壊れるはずのない建物がたくさん壊れ、崩れるはずのなかった道路が崩れました。
 日本の技術は完璧ではない。当然、日本の原発も完璧ではないのです。
 そして、事故がおこれば、地震よりもはるかに大きな被害をもたらす原発を建てさせないため、共に闘いましょう。
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 実際、アジア各国からの援助物資はおどろくほどたくさんいただいた。それまで見たこともなかったような、缶詰や乾物がいっぱい食べることができた。
 今、手元に残っているものを上げてみると、肉味着味面と書かれたインスタントラーメン。上海京福食品有限公司製である。SNAX時趣と書かれたクッキー。中法合資上海金納餅干食品有限公司製。あれ、もっといろいろあったんだけど、食べちゃったね。韓国からはチョコレートや菓子。これらはロッテのものが多かった。チョコパイなんて、そのままの音がハングルで書いてある。インスタントラーメンもあった。韓国のインスタントラーメンは長田では普通に買えるので実はこれはめずらしくはなかった。インドのクラッカーもあった。これを僕達が食べていいものだろうか、と話しながら食べたものだ。
 地震のあとの不安な暮らしの中で、これらのアジアの食べ物が、どれほどありがたかったか、アジアへの私の思い入れを察していただければ分かってもらえるかも知れません。
 そして、なぜか、欧米からのものはほとんどなく、アジアからのものばっかりだったのだ。これは、長田だったからなのかもしれないけど、私にとっては、日本がアジアの一員として、見放されずにいることを感じさせてくれて、とても嬉しかった。
 日本が、アジアから飛び出して、欧米諸国の一員のような気分になっているときに、困っていると、古い友人が手をさしのべてくれたような。
 ほんとうに手を繋ぎ会う相手が誰なのか、教えてくれたような気がしました。
 だからこそ、日本はやるべきことをやっていく必要があるのでしょう。今度は、その手をこちらから握り返さなければなりません。かつてのことを謝罪して。

 11日は、ようやく10日の午前中に作った震災後の長田のことを歌った曲を歌いました。延々と唄を歌う気分になれなかった私は、実はこの10日、11日が、震災後始めて歌った日ということになるのでした。
<とーち>

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