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生きてます42


1998.01.17



鎮魂の、そして誓いの灯

 小田実氏の力強い声、涙まじりのしかし、しっかりとした仮設のかたがたの声。3回目の1.17を、私は「公的援助法」実現ネットワークが主催した三宮駅前の試みに参加することにした。


1998.01.17

すべての被災者の
失われたいのち 生き残ったいのち
「災害弔慰金制度」から取り残され
市にも県にも国にも慰霊されることなく
6,430名に数えられることもない被災者の

すべての「震災死」追悼のために
黄色いろうそくを
(当日のビラより)

 足を止めて話を聞く人は少ないが、意外に多くの人がろうそくを点していく。灯は不思議なものだ。そこに神聖な場を作っている。これまでの「公的援助法」実現ネットワークの人々の歩みなどを聞く。私は少し後ろめたい思いで聞いていた。直接にはなんら神戸の問題に関わることができてこれなかったから。
 この行動は私に合っている気がする。違和感がない。行政に頭を下げるなんて考えれないし、行政と折り合いをつけながらなにかをする、というのも私には向かない。

 知り合いが、17日は法事やねんから、あんまりバタバタしとうないなぁ、と言う。同感だ。私たちにとって、17日はまず、命日なんだ。
そういえば、今年のテレビはあまり「教訓を生かす」って言わなかったような気がする。ほんっと、ぜんぜん生かしてないものな。

 3年たって考えてみても、やはり、私は亡くなった人々に対して、私にも責任があると思う。震災後の報道や、地質学者の生越忠氏に直接聞いた話によると、神戸に地震がくるであろうことは十分知られていたのだ。にもかかわらず、対策らしい対策は行われていなかった。
 私はそれは、この国が経済優先で動いていること、土地の値段を重視すること、などが影響していると考えている。地震に弱い地域を公表したりすることはとても大事なことだが、それは地価に影響する。それゆえ、実現が困難なのだと思う。こうした状況が、地震の被害を(あれほど「最良」な時間帯であったにも関わらず)大きくしたのだ。
 そして、そうした日本をほっておいた私自身にも、その責任がある。私はそう思う。

 地震の教訓、というなら、地震に弱い地帯を公表していくことはとても重要だと思う。土地を買う際に、家を建てる際に、地震のとき、どうか、という判断基準を入れる習慣をつけることはとても大事なことだ。この国は(情けないことに)経済で動く。地震リスクを経済に反映させれば、対策も進むと私は思う。
 伊方原発の近くを走る断層を、わざと県が調査しないままになっていることなど、地震の教訓なんて軽い言葉だ。


 教訓、というのは痛い目にあったから、そうならないようにしよう、というものなのだろう。阪神・淡路以外の人々にとって、あの地震では「痛い目」に会っていないのではないか。特に経済・産業において私たちが感じているほど「痛い目」には会っていないのではないか。だから、教訓なんて得る必要もないのではないか。
 いや、逆だ。私たちにだけ、「痛い目」に会わせることで、自分たちは教訓などというものと無縁になれる。そうか、彼らの教訓は「弱いものだけ「痛い目」に合わせておけ」だったのだ。

1月17日 5:46
 あの時を前に、震災3年市民宣言を何人もが少しづつ読み上げていく。たまたま私が読んだところに「自民党から出される法案は阪神淡路の被災者には遡及しない言語道断の「被災者置き去り法」にすぎない。」という意味の一節がある。
そうだ。今、これほど困窮している神戸が救えなくて、いったいいつ、何を救おうというのか。神戸を救うことは日本を救うことだ。神戸を救えなければ、日本もまた、救えはしまい。私は、そう思う。

4年目。
私は訴えていこう。
できることしか、できないが、できることは、やっていきます。



1998.01.17





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