Visual 生きてます39
★県外被災者の声
9月28日、フォーラム「帰りたい!帰れない」−県外避難者の実情と支援を考える−と題した集まりが開かれた。主催は「県外避難者支援全国ボラネット フォーラム実行委員会 」。
それまで、「市外・県外避難者ネットワーク りんりん」というグループで活動していた方達が中心になって行った、県外避難者の実情を訴える初めての全国的な集会だ。
神戸駅から会場である、神戸市産業振興センターまでの道々には、このように案内のボランティアを配して道案内をしてくれる。実際、神戸の中でも神戸駅南側はここ数年でもっとも変貌した地域だ。今回の会場も私は初めてだった。昔から住んでいた人のほうが、道に迷ってしまうかもしれない。
ちなみに、ここで道案内をしてくれているのは、ニフティのFACTIVEでも活躍している「せ〜」さん。
会場では耳の不自由な方のために、OHPを使って書いた文字を映す方法でフォローが行われていた。右下でボランティアの方が書いたものが、左上の画面に表示される。書いている手も写っている。
この方法を実際に使っているのを私は初めてみたけど、手話を習得されていない聴覚障害者の方もかなりいらっしゃると聞いているので、そういった方にも分かっていただけるのはとても大事なことだと思う。しかし、しゃべる言葉を逐次書いていくというのは、精神的にも肉体的にもかなりたいへんな作業で、3人の方が交代でやってらっしゃったけれど、それでも精一杯な様子だった。
主催者あいさつをされる、中西さん。
県外被災者の方。西宮で写真館をやってらしたのだけれど、おつれあいを亡くされた。震災前に受注していた卒業写真などを、奇跡的に残っていたネガから必死の思いで仕上げて納品すると、写真館のあったビルが立て直しとなり、写真館を畳んだ。
大家とのトラブルなどもあり、もう写真館をすることなど思いもよらず、生きる目的もなく気落ちしているという。
中西さんが、みんなしゃべって、元気だして、と語りかけておられた。
この方は、尼崎で住んでいた借家が全壊指定で雨漏りがしてとても住めないので仮設にいるのだが、借家の一部にはまだ住んでいる人がおり、そのために取り壊せず解体証明がとれない。尼崎市の住宅申し込みに応募したが、その際解体証明が必要なのだが、事情がありそれが取れないことを断って申し込みされた。
その後、住宅に当たったのだが、解体証明がないことを理由に取り消されたしまったという。そして、このあと、尼崎市の担当者にかけあいにいく、と宣言された。
この方は、こうおっしゃてました。
「この壇上にいらっしゃる方々とは初めてお会いした方ばかりなのですが、私達が控え室にいくと、全員が座るにはいすが少し足りなかった。すると誰もが座らない。自分が座ると誰かが座れなくなるから誰も座らないのです。私達はそうやって、遠慮して、遠慮して生きてきました。地震の後、県外に逃れるとTVに映る避難所の食事を見て、自分達は県外で暖かい食事をしていることを申し訳なく思った。テントで暮らすのを見て、雨が降っても濡れないところで寝られるのを申し訳なく思った。そうやって震災以来生きてきたのです。」
これまでそうやって自ら主張する機会も方法ももたなかった方々が集まったことはたいへん重要なことだったでしょう。彼女・彼らが主人公となって元の地に戻れるときこそ、本当の「復興」なのですが。
会場は700人くらいのキャパシティかと思うけれど、かなりの人数が入っていた。
この方は短歌で、お気持ちを表されていらっしゃった。その中から
仏壇も位牌も震災(ない)に灰と消ゆ
壁を拝がみて彼岸となりぬ
ホールの廊下では、こんなふうに各市の担当者が県外被災者の臨時の相談窓口を開いていた。こうやって、行政も巻き込んだ形で集会を持てたのはすばらしいと思う。
さきほど壇上で、尼崎市にかけあう、と宣言されていた方がここでかけあっていた。すべてのやりとりを聞いていたわけじゃないが、どうやら尼崎市としては、解体証明がなくても受け付けられるらしいが、すでに失効した分は回復されないようだ。
被災者の方は、納得しない。彼が本当に求めているものは、尼崎市の職員が持ち合わせていない、持とうともしていないものなのだ。
集会のあと開かれた交流会の様子。
神戸市の人間も参加していた。
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